剣道の打突部位呼称は指差呼称と関係あるやなしや
指差呼称(指さし呼称、指差喚呼)は、日本の鉄道に始まり産業界で広く使われていますが、他に、声を出すことでヒューマンエラーを防いでいるものはないでしょうか?
思いついたのは剣道です。
面を打つときには「メン!」、胴を打つときには「ドー!」と言います。竹刀で打ったり突いたりする部位を呼称するので、打突部位呼称と言うそうです。こんな武道、こんな競技は他にありません。同じように剣を使うフェンシングでも、同じ武道である柔道でも、技名を呼称することはありません。どうして剣道では、打突部位呼称という声出しをするのでしょうか。技の正確性を向上させる効果などがあるのでしょうか。
目次
1.この記事の対象
この記事は、以下のような方に向けて書かれています。
- 指差呼称の声出しの効果について知りたい方
- 声出しのいろいろな効果について知りたい方
2.剣道のルール
意外なことに、剣道のルール(審判規則、審判細則、審判手引き)では「メン」「ドー」「コテ」など打突の部位を声に出す行為については触れられておりません。ルール上は声を出す必要はないのです。
- 全日本剣道連盟:剣道試合・審判規則 剣道試合・審判細則、2019.4
- 全日本剣道連盟:剣道試合・審判・運営要領の手引き(第3版)、2019.3
ただ、審判の手引きの中にある有効打突についての図の中に、審判が気勢(発声)と打突部位を耳で聞く経験が要件であるとだけ示されています。これだけでは、今一よく分かりません。より具体的な内容は、中学校での剣道指導についての資料が参考になります。有効打突(一本)には「充実した気勢」が必要で、それは「かけ声と呼称」と示されています(全日本剣道連盟 2020、p17)。また、指導上の留意点に「打ちとかけ声が一致するように行わせる」「送り足『ヤーヤーヤー』の発声で3歩攻めて前進」「手刀で送り足3歩 発声はメンメンメン」などの記述があります。
- 全日本剣道連盟:新中学校学習指導要領に準拠した安全で効果的な剣道授業の展開(ダイジェスト版 第4版)、2020.9
これらから、技が決まった(有効打突)という判定を受けるために、打突と打突部位呼称(メン、など)を同期させる必要があることが分かります。
3.剣道試合での打突部位呼称の分析
ここで、剣道の試合における打突部位呼称を分析した研究についてみてみましょう。
49試合の試合を分析した研究の結果では、約1200回の打突に対してメンなどの打突部位呼称は88%で発声され、有効となった打突のすべてで呼称がなされていました(橋爪ら1992)。
- 橋爪 和夫、勝木 豊成、佐々木 弘:剣道試合での発声の質・頻度・長さに関する研究、武道学研究、25巻、1号、pp.50~56、1992
また、剣道試合のビデオを分析した別の研究では、約600試合約1200本の有効打突を集計したところ、打突部位呼称があったのは36%という報告があります(大塚ら2013)。これは非常に低い数値で、上記の研究と異なっています。この研究では「オメン」など接頭語を付けたもの、接尾語を付けたもの、繰り返し発声したものなどを分類しています。資料に詳細が書かれていないので不明ですが、36%という数字はシンプルに1回だけ呼称した割合を示しているため、低い値になったのかもしれません。
- 大塚 真由美, 天野 聡, 笹木 春光, 松本 秀夫, 吉村 哲夫:剣道試合における有効打突時の「掛け声(発声)」の分析、武道学研究、46 巻、Supplement号、p.42、2013
4.打突部位呼称の歴史
打突部位の呼称は江戸時代の後期から行われていて、防具をつけず、木刀で、寸止めで行う試合や稽古(形稽古)の際に、予告して打つことで事故防止を図るためであったそうです(橋爪1993)。竹刀・防具で行う稽古・試合が主流になった後は、打突が偶然ではないことを示すなどの意義があったそうです。
明治44年に中学校で竹刀・防具でおこなう剣術が取り入れられた際の指導方に、打突部位呼称が取り入れられました。その理由は、打とうとする箇所への意思・目的が表れやすく、技の形態を覚えやすいためだと考えられるそうです。
その後敗戦を経て進駐軍からの指導により剣道は学校教育から外され、剣道という名称も禁止された時期がありました。その時期は、撓競技(しないきょうぎ)と言う名称で行われ、声を出すことも禁止されました。その後、昭和27年に日本が主権を回復して全日本剣道連盟ができ、打突部位呼称が復活し今に至ります。
- 橋爪 和夫:剣道の発声の形成過程とその意義、武道学研究、26巻、1号、pp.9~23、1993
5.打突部位呼称の効果
- 橋爪 和夫:剣道の発声の形成過程とその意義、武道学研究、26巻、1号、pp.9-23、1993
- 林 雅弘:剣道の発声が打撃力に及ぼす影響、茨城大学 卒業研究発表会、2007
5つめは、自分を励まし気力を充実させる効果です(市川市剣道連盟2019)。
6つめは、打突の強度や正確性を高める効果です(市川市剣道連盟2019)。
6.指差呼称と打突部位呼称との関係
最後に、指差呼称と剣道の打突部位呼称との関係をみていきましょう。指差呼称(指差喚呼)では、呼称(声出し)のエラー防止効果は3つあると考えられています(増田ら2014)。
- 増田貴之、重森雅嘉、佐藤文紀:指差喚呼のエラー防止効果の検証、鉄道総研報告、Vol.28、No.5、PP.5-10、2014
1つめは、記憶強化効果です。この効果は、指差呼称した後の確認の記憶に対する効果です。剣道において打突部位を記憶する必要はありませんので、両者はまったく無関係です。
2つめは、エラー気づき効果と反応遅延効果による認知精度の向上効果です。認知精度の向上と打突部位呼称により打突の正確性を高めることは同じように捉えられそうです。ただ、剣道において、エラー気づき効果や反応遅延効果は無関係のように思えます。剣道の場合は、認知精度というより行為、行動の精度の向上なのかもしれません。打突と呼称が一体化して習慣づけられることで、高い精度の行動(打突)ができるということではないでしょうか。そうであれば、両者の関係はあまりなさそうです。
3つめは、覚醒効果です。指差呼称においては、覚醒レベルが低いときに適切なレベルに覚醒させる効果ですが、剣道では覚醒レベルが低い状態で打突をするような場面は想定できません。ただ、声出しによって、自分を励まし気力を充実させる効果が指摘されていますので(市川市剣道連盟2019)、覚醒効果と気力向上効果には類似性がありそうです。
以上のように、剣道における打突部位呼称と指差呼称との間では、呼称する場面が全く異なりますし、呼称する目的も異なります。剣道の打突部位呼称がヒューマンエラーを防ぐ効果があるとは思われませんでした。ただ、覚醒効果と気力向上という、似たような効果を見いだすことはできました。声を出す効果について、より広く考える機会にはなったかと思います。
指差呼称の定着のために
指差呼称がエラーを減らすことは実験により確認されていますが、その効果を実感することがしにくく、形骸化が危惧されています。
公益財団法人鉄道総合技術研究所が開発した「指差喚呼効果体感ソフト(SimError 指差喚呼編)」は、指差喚呼(指差呼称)の5つのエラー防止効果を実際に体感し、その重要性について理解を深めることで、指差呼称の定着を図るための教材です。
ぜひ活用して、指差呼称の形骸化を防いでください。