指差呼称の発端は喚呼応答ではない?
指差呼称(指差し確認、指差喚呼など)がどのように生まれたか、その発端はどういうものでしょう。
ネットで検索すると、多くのサイトでは「喚呼応答」というやり方が指差呼称のルーツ、発端とされています。
「喚呼応答」は相手への声出し、「指差喚呼」は自分自身への声出しで、声出しの対象が異なっています。本当に「喚呼応答」が発端だったのでしょうか?
この記事では、過去の資料にもとづいて、指差呼称の発端について深堀りします。
目次
1.この記事の対象
この記事は、以下のような方に向けて書かれています。
- 指差呼称の発端について知りたい方
- 指差呼称がどうして行われるようになったかを知りたい方
- 従来言われている発端が疑わしいと思っている方
2.喚呼応答について
声を出して確認することに関するもっとも古い文献は、1913年(大正2年)の機関車運転士の教範です(神戸鉄道管理局1913)。
- 神戸鉄道管理局:機関車乗務員教範、國光堂、p259-262、1913
蒸気機関車の機関士あるいは機関助士が信号を喚呼し、他方も確認して喚呼して応答するもので、「喚呼応答」と言われるものです。
「喚呼応答」において、声を出すことは自分ではなく、他人に聞かせるために行われます。この点において、自分のために声を出す「指差喚呼」の喚呼と本質的に異なるものです。
「喚呼応答」の誕生については、奈良県にあった加茂機関区の機関士が低視力で信号の確認が難しかったため、機関助士に「信号はどうか」「合図はよいか」と大声で確かめていたのを、神戸本局の機関車課の人が添乗していて見聞きし、感心して広めることにしたとの逸話があります。加茂機関区の古老である南楠伊三郎が今村に話したものです(今村1962)。
- 今村一郎:機関車と共に 国鉄43年の思い出、ヘッドライト社、1962
この誕生の逸話では何かと機関士に注目が集まるようですが、機関士と機関助士の様子から「喚呼応答」という信号確認方法を広めようと考えた担当者をより注目すべきだと思います。この担当者は、乗務員教範の執筆者である馬場倉造ではないか、と今村は推測しています。
また、喚呼応答は「前年来管内にて実行して来た」との記述が教範の中にありますので、1912年(明治45年あるいは大正元年)かそれより前に始まったものと思われ、今村は1909年(明治42年)ではないかと推測しています。
蛇足ですが、喚呼応答の発端となった機関士は後に低視力が発覚し、他の職種に転換になったそうです。なんというか……感慨深いです。
また、筆者はこれらの逸話に当初は半信半疑だったのですが、今村(1962)の膨大かつ詳細な記録に触れて、この資料が信頼に足るものだと感じるようになりました。
3.指差について
指を差して確認することについては、声出しよりも資料が少なく、詳細は分かっていません。
発端が記述されている資料は1つだけで、1926年頃(昭和元年頃)とされています(関東鉄道学園1977)。
「昭和の初年ころから、東京近郊の動力車乗務員が自発的に実行していた」(関東鉄道学園1977)。
- 関東鉄道学園編:動力車乗務員の運転事故防止、交友社、第4版(初版1970)、1977
1943年頃(昭和18年頃)小田急電鉄では信号称呼(指差呼称)が全国私鉄に先がけて行われたそうです(目崎1995)。国鉄での指差呼称を参考にしたものでしょうから、この頃には国鉄内でそれなりに一般化していたと推測できます。
- 目崎良和:運転日誌余話(40)運転士編―信号称呼を響かせて、運転協会誌、Vol.37、No.5、pp.50~51、1995
その他の資料として、1945年代初期(昭和20年)には指差喚呼があったという記述(飯山1980)、1945年の記事内で車掌が指差称呼という表記(野辺教育助役ら1945)、1954年の記事には踏切で指差確認(明石1954)、1957年の記事には車掌が指差し確認(南光1957)があります。
- 飯山雄次:指差唱呼の効用と応用 その科学的背景、安全、Vol.31、No.12、1980
- 野辺教育助役ら:輸送は女子の手で(座談会)、少女の友、Vol.38、No.4、1945
- 明石孝:踏切物語、交通技術、Vol.9、No.11、pp.10-13、1954
- 南光政治郎:アンケートわが駅わが区、国鉄線、Vol.12、No.10、p27、1957
そして、指差しは1970年(昭和45年)に地方レベルでルール化され、JRに引き継がれています(芳賀ら1996)。
- 芳賀繁、赤塚肇、白戸宏明:「指差呼称」のエラー防止効果の室内実験による検証、産業・組織心理学研究、Vol.9、No。2、pp.107-114、1996
4.信号喚呼について
ところで、関東鉄道学園(1977)では、以下の不思議な文章があります。
「国鉄における『信号喚呼』の歴史は、鉄道創業間もないころ、われわれ動力車乗務員の先輩達の中から運転事故を防止するための『生活の知恵』として自然発生的に生まれたものである。それが大正年間の運転取扱心得の改正時にとり入れられた。」(関東鉄道学園1977)
この文章における「信号喚呼」とは何を差しているのでしょう。それを考えていきたいと思います。
この文章には2つの謎があります。1つには、大正年間の運転取扱心得の中に「信号喚呼」の記述がないこと、2つには、「喚呼応答」より古い時期の資料で「信号喚呼」が載っている資料が見つからないことです。
大正年間に改正された運転取扱心得は、1924年(大正13年)の改訂版と思われます。心得そのものの資料は確認できなかったのですが、心得に関係する以下の資料には「信号喚呼」も「喚呼応答」も掲載されていませんでした。
・東洋書籍出版協会 編:列車運転及信号取扱心得並解釈、東洋書籍出版協会、1923
・松縄信太:運転取扱心得解説、鉄道時報局、1925
・松縄信太:問答体運転取扱心得詳解、東洋書籍出版協会、1925
・鉄道世界編輯部編:運転取扱心得詳解:理解本位、法制時報社、1925
1947年(昭和22年)に改定された運転取扱心得には、「喚呼応答」はありますが「信号喚呼」はありません。ただ、「喚呼応答」に続いて、以下のような追記があります。
機關士のみが乗務してゐる場合、信號を確認したときは、その現示狀態を喚呼しなければならない(運輸省運転局1947)
・運輸省運転局編:運転取扱心得、交友社、1947
1952年(昭和27年)の運転取扱心得も同様の記述でしたが、Q&Aがついています。
問 機関士のみが乗務している場合信号を確認したときその現示状態を喚呼せしめる理由を問う
答 確認したことを正確に意識するためである(日本国有鉄道1952)
・日本国有鉄道:運転取扱心得、中央書院、p98、1952
このQ&Aにより、喚呼応答の相手に向ける喚呼の効果については当然のことと受け入れられ、自分に向ける喚呼(信号喚呼)の効果については疑問に思う機関士が一定数存在したことが伺われます。これは最後の解釈における重要なポイントになります。
「信号喚呼」の用語が載っているもっとも古い資料は大正10年(1921)のものです。ただ、「信號稱呼」という用語が数行先の文章では「稱呼應答」に置き換わっています。
・鉄道大臣官房研究所:名古屋鐵道局第二囘運轉競技槪要、業務研究資料、Vol.9、No.8、p271~290、1921
ちなみに、「信號唱呼應答」「唱呼應答」という記載が、前年の資料に掲載されています。
・鉄道大臣官房研究所 :名古屋鉄道局主催運転競技成績概要、業務研究資料、Vol.8、No.11、p27-38、1920
これらから、1921年の資料の「信號稱呼」は自分に向けた喚呼である「信号喚呼」ではなく、「喚呼応答」の際に信号を喚呼する行為を差しているだけだと考えられます。
自分に向けた喚呼である「信号喚呼」が確認できる最古の資料は、1959年(昭和34年)のものでした。資料は座談会の様子を再現しており、司会は国鉄関東支社(現 JR東日本)の調査役、参加者の一人である川本は帝都高速度交通営団(現 東京地下鉄)の運転士です。
- 司会 信号喚呼もやってますか。
- 川本 そうです。
- 司会 中間の信号機も全部やっているんですか。
- 川本 全部やって居ます。信号は近いですから、しょっちゅう信号呼称している状態なんです。
- ハンドルを握る人達 運転士座談会:運転協会誌、Vol.1、No.2、p69、1959
「信号喚呼」や「信号呼称」という用語は、これ以降の資料に散見されますが、あまり多くは使われていません。
以上のことから、関東鉄道学園(1977)の文章は二つの解釈ができます。
一つは、「信号喚呼」は「喚呼応答」のことを書いているというものです。この解釈の難点は、以下です。
- 喚呼応答が誕生した1909年(明治42年)頃を「鉄道創業間もないころ」と言うか
- 喚呼応答を「自然発生的に生まれた」と言うか
もう一つの解釈は、「喚呼応答」に先立って、自分に向けた「信号喚呼」があったというものです。この解釈の難点は、以下です。
- 裏付ける資料が他に見つからない
- 自分に向けた喚呼の効果を疑問に思う機関士がいた
両者は対立していますが、私は以下のような解釈が成り立つのではないかと考えています。
関東鉄道学園(1977)の記述は、心得への記載についての疑問があるものの、自分に向けた信号に対する喚呼を説明しているものです。ただ、「信号喚呼」という用語は、「喚呼応答」の後に作られました。
確認すべき内容をつぶやいたり、声に出してみたりすることは、自然に出てくる行為のように思えます。自主的な「信号喚呼」が先にあり、その拡張版として二人で喚呼しあう「喚呼応答」が生まれたという解釈は自然です。
一方、他の文献の調査結果から「信号喚呼」は「喚呼応答」の後に一般化したとの解釈が自然です。二人乗務での「信号喚呼応答」が先にあり、一人乗務が増えるにつれて「応答」する相手がいなくなり、自分自身に対する「信号喚呼」という行為と用語が残ったのです。
また、一人乗務における「信号喚呼」に「指差し」が合流しました。合流した結果「信号喚呼」とう用語より、「指差喚呼」の用語が多く使われるようになったのでしょう。
もしそうであれば、「呼称」の発端は「喚呼応答」ではなく、鉄道創業間もない頃、明治初期に自然発生した自分に向けて声を出す「信号喚呼」ということになります。
5.まとめ
以上から、指差呼称の発端をまとめると、「呼称」の発端は1872年(明治5年)の鉄道開業間もない頃から自発的に行われていた自分に向けて声を出す確認(のちに「信号喚呼」と命名)、「指差」の発端は1926年(昭和元年)頃の信号に対する自発的な指差しと言えましょう。
なにぶん古い資料ばかりで、探索が完全か自信がありません。より古い文献、情報、体験などがございましたら、「お問い合わせ」に書いてお知らせいただけると幸いです。
指差呼称の定着のために
指差呼称がエラーを減らすことは実験により確認されていますが、その効果を実感することがしにくく、形骸化が危惧されています。
公益財団法人鉄道総合技術研究所が開発た「指差喚呼効果体感ソフト(SimError 指差喚呼編)」は、指差喚呼(指差呼称)の5つのエラー防止効果を実際に体感し、その重要性について理解を深めることで、指差呼称の定着を図るための教材です。
ぜひ活用して、指差呼称の形骸化を防いでください。